【第1話】ブログの収益化って簡単?難しい?ブログに初めて出会った1999年からの軌跡

当サイトを運営している、100万PVブロガーのPIPICO(ぴぴこ)です*^^*

PIPICOさんストーリーの【第1話】にアクセスしてくださり、ありがとうございます♪

今回の記事では、PIPICOさんが初めてブログに出会った1999年当時のことを、少し回想シーンを入れながら「インターネット上に日記を書くことが仕事になる」という道までどんな過程を歩んでいったのか、ご紹介したいと思います。

ブログの収益化が簡単なのか?それとも難しいのか?気になる方が多いのではないでしょうか。

結論から先に申し上げますと、収益化できるフレームがあればブログから収入を得ることは簡単ですが、この「収益化できるフレーム」という思考や知識がないと、やみくもに文章だけ書くだけで稼げずさらには時間が過ぎてしまうので要注意です。

そこで私のストーリーの中では、この「収益化できるフレーム(ブログ職人に陥ることなく、マーケティングの要素を含む知識を身に付けること)」についても触れていきますので、楽しんで読んでいただけると嬉しいです。

また、昭和後半の同年代の方には、懐かしい単語が出てくるのではないかと思います。

どうぞよろしくお願いいたします♪*^^*

 

※追伸※
通常連載ストーリーは、小説タッチな書き方をしているのですが、本作品の序盤は若干エッセイ調にPIPICOさんの言葉で綴られています。
なぜそうなったのか?というと、ブログで稼げるようになるために、ママ友との付き合いも全部断り、ネットの世界に向き合う期間を約4年間程過ごしたからです。
そこから徐々に小説タッチに切り替わっていくので、その変化も楽しみながら読んでいただけると嬉しいです*^^*

 

 

不登校と卒婚、のち「100万PVブロガー」デビュー秘話

【第1話】ブログの収益化って簡単?難しい?ブログに初めて出会った1999年からの軌跡

今こうやってプロのブロガーとして活動させていただいているPIPICOさんですが、ブログとの出会いは本当に偶然でした。

時は1999年10月。

もう「今から何年前」という単位じゃなくて、「今から何十年前」という領域になってしまうのですが(笑)、、、それは1999年10月、千葉大学大学1年生の後期の授業が始まってまもなくの頃でした。

当時付き合っていた人がいて、その人のニックネームを仮にシゲちゃんと呼んでおきましょうか。

シゲちゃんがめちゃくちゃ新しい物が好きな性格で、iBook G3 初代のクラムシェル型(ブルーベリー色)という、近未来的なデザインのマックのラップトップを発売日に手に入れるような人だったのです。

そして、真新しいパソコンでシゲちゃんが何をしたのか?というと、そうです、これまた同じ年の6月から運営を開始していたブログサービスの「さるさる日記」に即登録をしたのです。

私はというと、右も左もわからないまま、大学入学時に案内が入った「学生生活でもパソコンはあった方が便利」といううたい文句に促されて、富士通のノートパソコンを両親に買ってもらっていたので、誘われるままに一緒にさるさる日記でブログを書き始めた、というのがPIPICOさんがブログに触れた最初のきっかけでした。

当時、学生割引で買ってもノートパソコンは20万円以上はかかっていてめちゃくちゃ高級品でしたから、大学入学費用のみならず新しいデバイスも買い揃えてくれた両親にとても感謝してます。

まだdocomoなどの各種携帯電話会社のネット通信に関しては、確か、imodeが出たばかりの頃だったと記憶していまして、携帯電話で撮った写真は画素数が低すぎて使い物にならなかった上にデジタル写真のメール送信もままならないような状態でしたし、デジカメもまだまだ高価な頃でしたので、ブログでは「これまで書いてきたアナログな日記をデジタル文書に移行した」というくらいの文章だけでさらっと書く気軽な感覚でした。

具体的には、あの頃どんなブログを書いていたかというと、例えば、

 

「あのさ、PIPICOさん、先週行った○○○○のお店のことを書こうよ」

「・・・(あまり乗り気じゃないが)シゲちゃんが言うなら・・・そうだねぇ」

 

と、自主性も何もあったものじゃないのですが、彼のブログに対する並々ならぬ謎の意欲に半ば流される形で、まず定期的にブログを書くという習慣を徐々にこの頃身に付けていくのでした。

しかし、千葉大学に入学したのは学力が良かったからではなく、後期試験で運良く過去問に一度も出題したことがないような『超エッセイテイストな内容』が課題となった小論文の科目のみで合格したこともあり、エッセイ調の文章を書くことはもとから好きだったので、だんだんとブログを書くことも、シゲちゃんから声をかけられたから書くという感じではなく、自分でテーマを決めて面白おかしく書いてみようとチャレンジし始めるのでした。懐

結果的には、大学在学中のうちは、ひたすらエッセイを書く練習をブログでやって、友人に読んでもらって感想をもらったり、覚えたての「アクセスカウンターの設置」というものをやってみて、どのくらい自分の日記にアクセスが起きているのかを計測するなどの習慣も身に付けることができました。

若いころにあるあるな “めっちゃ大人の階段のぼりたくて背伸びをしている感” が私の書いていたさるさる日記には充満していて、ホント今振り返ると幼すぎて笑えるのですが、

 

「お気に入りのイタリアンレストランに行って、ディナーコースでこれまたお気に入りの白ワインを楽しむ描写」とか

「房総半島の内房エリアにある神社にデートに行ったという報告」とか

「お気に入りのカクテルはピニャコラーダとジャックターなんです~」とか

 

という “リア充をこじらせた内容” でした(遠い目)(謝罪会見レベル)

なぜこんな感じで、ブログ内で背伸び感マシマシで自己PRしていたのか?というと、それには理由がありました。

文章を書くことが仕事になっている職業と言えば、当時は小説家やエッセイストくらいしか私は知らなかったので、どうせ同じ時間を使って文章を書くなら、趣味に留まらずお金を稼げたらいいなぁと素朴に思って、でもどうやって小説家やエッセイストになったらいいかわからなかったので、「とにかく書いてみよう」という猪突猛進な感じだったからですw

まーーー、若気の至りと怖いものなさで行動することの破壊力と言ったらもう(;´Д`)

我ながら恥ずかしいですねwww

「家で仕事ができたらいいな」という気持ちは子どもの頃からずっと持っていたのですが(※)、ブログを書き始めた大学生の1年生・2年生のあたりで、「あれ~・・・この毎日書いているブログって、ただ趣味で文章を書くだけになっちゃってるけど、それってなんだかもったいないんじゃないかな」と徐々に思い始めるのです。
プロフィールの後半のところでも触れています

しかしながら、大学も卒業間近になると卒業後に進む仕事に対する『価値観の違い』という芸能人みたいな(?)理由でシゲちゃんとは別れることになり、その結果さるさる日記も解約しちゃうPIPICOさんでした(≧◇≦)

若気の至りオンパレードですよねぇぇぇ(遠い目)

ただ、全くインターネットやブログの知識がなかった私は、ibookを発売日当日に買っちゃうような元彼のおかげで、かなり早い段階でインターネットの世界に慣れてブログを書くことも習慣化できたので、ありがたい経験になりました。

ちなみに、シゲちゃんとは大学卒業後は何かの拍子で1回か2回は会ったのですが、それ以降は全く連絡も取っていないので、今どこで何をしているのかはわかりません(元気だったらいいな~くらいのロングディスタンスメモリーです)(そのディスタンスってどんなだ)

 

話を戻しましょう*^^*

さるさる日記を解約後、時を前後して今度は当時は紹介制度で徐々にすそ野を広げていたmixiを、高校時代の親友から紹介してもらい登録しました。

最近なら、クラブハウスという音声SNSも紹介制を導入していることで話題になっていますが、mixiもあの頃はホントそういう感じで特別感がある場所になりつつありました。

そこで再びコツコツとブログを書き始めて、さるさる日記にはSNS的な要素は1999年前後の創業期はほとんどなかったと思うのですが、mixiのSNSとしての機能を駆使して、『オンライン上で友達を作る』というこれまでの文化にはなかったアクションを楽しむことになります。

 

ブログを通して、ネット上のマイミクと友達になりコミュニケーションを取る

 

これは本当に面白いな、と思ってちょうど社会人になった2003年くらいから、新社会人として仕事に挑戦して慣れない中で顔晴っている中で、mixiでブログを書くことはこの頃の私にとっては収益化を意識するよりも、書くことが癒しの時間になっていました。

なぜなら、仕事が結構時間に追われる仕事だったので、午前中と午後で「うおおおおおおお(;´Д`)」と怒涛の伝票整理に走り、仕事の締めは売上計算などもしていたので、毎日のミスをなるべく減らすことが仕事の効率化だと徐々にわかっていったので、自分の行動を整理整頓して、

  1. 仕事でどういう行動がよかったのか?
  2. 仕事でどういう行動が改善点だと思ったのか?またそれはどうすればいいのか?
  3. 仕事ばっかりじゃもったいないので趣味の分野も探してみよう

というようなことを、とにかく仕事が終わってからでもmixiを開いて、ブログに書き出すことでおぼろげながらもPDCAサイクルをなんとなぁく回して、仕事のやりがいをブログ執筆の中で発掘していたのです。

学生時代の友達との関わりも、リアルじゃお互いの会社の休みが合わないということで、mixiのブログに設置されたコメント等で交流しながら楽しんでいたわけです。

話が急に飛ぶように感じるかもしれませんが・・・そうこうしているうちに、結婚することになりますw

婚姻届けを出しに行った日、市役所の前に車を停めて婚姻届けの紙をそのまま手に持っていったのですが、市役所の建物に入る前に婚姻届けの紙がどういうわけか強風にあおられて3メートルくらい吹き飛ばされました(遠い目)

慌てて拾ったので、事なきを得たのですが^^;;;

しかもその後に、元夫(※ハンドルネームをポポタンに決定)とはお食事に行ったのですが、、、行った先で元夫側の結婚指輪を紛失するという、そもそもその結婚が前途多難である前兆がめっちゃ出ていたのは今では懐かしい思い出です(≧◇≦)w

 

もう1度話を戻しましょうwww

結婚生活の中で、そしてmixiという不思議なインターネットの世界の中で、徐々に「ブログ収益化について真剣に考える出来事」が起きます。

具体的には、娘のリリコちゃんが無事に生まれて育児をしている中で、当時住んでいたところは最寄のJR駅まで行くのにも車で30分もかかるところだったのと、私の産後の体調があまり良くなかったので、1歳になる手前の娘をチャイルドシートに乗せて、車で30分間も運転することも少し大変な時期でもありました。

そうすると、ほとんど毎日自宅で過ごすか、近所を少し散歩するかという生活で、社会から隔離されているような感覚に陥ります。

それはちょっとした恐怖で、

 

「このまま子育てだけしていても、世界が狭くなってしまい、リリコちゃんにとっても良くないし、私にも良くない」

 

と徐々に感じるようになります。

そんな時に、mixiというSNSの存在は私にとってはとても大きくて、体調が悪くて近所でママ友を作ることもあまりできなかった分、毎日mixiで育児ブログを書いたり誰かの投稿にコメントしたりする時間は、私にとっては独身時代以上にアミューズメントで楽しい時間になっていきました。

どこにも遊びに行けなくても、ネットの世界で誰かと関われることがこんなにしあわせなのか、、、と結婚生活のしあわせよりも、ネット上で新しくできた友達(マイミク)とコミュニケーションを取れることの方が、日々の中で比重が大きくなっていきました。

そのため、「ネットで知り合った人と気軽に会うなんて、大丈夫なのか」と元夫のポポタンには何度か言われるのですが、私は純粋に楽しかったので、mixiを辞めることはありませんでした。

このあたりでもう、徐々に夫婦関係に亀裂が入るというか、、、生活リズムが違う状態になっていたので、離婚の前兆がじーわじわじわ・・・と出てきます^^;;;

となると、次に考えたことは、リリコちゃんを連れて万が一離婚することになるとしたら、やはりしっかりとした経済基盤を作っておいた方がいいな、という女の勘に起因する発想です。

でも、産後の肥立ちが良くなかったこともあり、保育園にリリコちゃんを預けていきなり正社員の仕事をする、というのは体力的にハードルが高すぎましたし、田舎の環境のいいところに住んでいたので、逆に会社まで通勤するとなると、保育園に預けてから車で20分とか30分とか移動して初めて、会社が点在する地帯に到達できるような感じでした。

そのため、

 

「携帯(当時はガラケー)やパソコンで自宅で仕事ができる世界があったら嬉しいな、特にずっと続けているブログを書いて何かしらの商売を組み合わせて、収益化できたら嬉しいな~」

 

と思うようになっていったのは、自然な流れだったようにも思います。

ところが、時を同じくしてmixi上でとある事件が勃発します。

今で言う「炎上」というやつですね。

特定の趣味で集まっているmixi内の掲示板があり、そこに参加している方々がみーーーんな異常に絵が上手だったのです。

しかもピクシブが出始めた頃だったので、mixiとピクシブを連動させている絵描きさんがとても多かったのですが、、、その中ではプロ級の絵を描いてもそれは無料提供であることが前提で、「有料なんてもってのほか」という風潮がなんとなぁく流れています。

日本社会でよくある、同調圧力みたいなものが、ネット上でもちらほらと見え隠れして来るのでした。

そこで私がうっかり、商売とは全く関係ないことだったのですが、「○○は私は好きじゃないです」みたく特定の分野に対する好みに関して書いた結果、そこの掲示板のコメント欄が大荒れになり、事実上その掲示板は閉鎖になる、ということが起きます。

うまくこの時のことを描写しきれないのですが、同調圧力が苦手な自由人「THE 水瓶座」のPIPICOさんは、今でも未熟者ですが当時はもっと未熟だったので、例えば「絵の有料提供はNG」と言っている張本人が「自分のパワーストーンの販売はOK」みたいな風にやっているのを見ると、

 

「それって自分都合でめっちゃ矛盾してるんじゃない?」

「素晴らしい絵を描いている人の労力を考えたら、そこは有料NGとか、何なのそれ~?」

「それなのに、自分のパワーストーンは売ってもOKって、どういう基準なの~?」

 

と、、、それがちょっと嫌でうっかり本音を言っちゃったんです(;´Д`)爆

『金持ち喧嘩せず』ですから、当時の私は自分の好みというか、ちょっとそれどうなんだろうという気持ちは、心の中にしまって涼やかにスルーすべきだったと、今では思います(反省)

そんな事件が起きてしまうと、今度はブログにSNS機能がついているものだったり、ブログ友達と繋がることができる機能があると、逆に「商売しちゃいけない」みたいな風潮と、「この販売はいいでしょ」みたいな風潮がごちゃまぜになり、迂闊な私の発言によって、ネット上でも人間関係が荒れてしまうことがわかりました。

当時は手痛い経験でしたが、今振り返ると気づきがものすごく大きくて、ターニングポイントにもなりましたので、すごくいい経験だったと思います。

今回の経験により、SNS機能がついている無料ブログ上で、横並びでブログを書きながら何かしらの商売を専業主婦という立場でやっていくのは難しいのではないか?と思うようになります。

この時が2010年頃だったと思います。

リリコちゃんは1歳になりたての頃で、mixiは本当に楽しかったけど、このままこの世界にいたらブログで稼ぐ道というのはちょっと難しいなと気づき、体調もだいぶ回復したこともあって、大きく路線変更をすることになります。

 

 

 

つづく

 

 

 

追伸

【第1話】を最後までお読みくださり、ありがとうございます♪

PIPICOさんのブロガーストーリー、いかがだったでしょうか。

ブログ教室の生徒さんにも話したことがなかった内容を、今回は私のコミュ障な失敗談も含めて、ブロガーというお仕事にたどり着く前段階の過去の自分をそのまま書いてみました^^;;;

こんな未熟な私でも、ブログを書くことを続けた結果プロのブロガーになれましたので、本作品を読んでくださっているあなたなら、絶対大丈夫です(≧◇≦)

 

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