こんにちは♪
今日も絶好調のぴぴこさんは、引き続き連載ストーリー「ネットとネットワークビジネスと私」の【第4話】を進めていきたいと思います。
「ちょっと待って、ぴぴこさん、第1話から読んでいてじわじわ思っていたのですが、この連載ストーリーのタイトルどこかで聞いたことがあるような・・・」
は、はい(≧◇≦)
おっしゃる通りでして、SHOWAな人間なものでついついこのぴぴこちゃんブログにも昭和なノスタルジー感を求めてしまいがちで、1990年代の流行曲で大好きだった「部屋とYシャツと私」をもじらせていただいてます( ^^) _旦~~
なので、昭和な女 THE ぴぴこさんのノスタルジックなネットMLMストーリーとして、楽しんでいただけたら嬉しいです。
というわけで、最近ブログをあちこちで書きまくっているために、ランナーズハイならぬライターズハイになっているので、この勢いで【第4話】も書き綴っていこうと思いますので、よろしくお願いします♪
連載ストーリー「ネットとネットワークビジネスと私」
【第4話】私、ブロガーになる!絶対ブログで稼ぐ!と決断したあの日(後編)
東日本大震災の余波が、日常生活にもかなり浸透している2011年を過ごしたので、この年の経験はあれから10年以上経った今振り返って思い出してみても、大きなターニングポイントになったことは間違いないと思っています。
あれだけの大きな出来事が起きてしまったことで、
今回の人生は、一度きり。後悔したくない。
という想いが、私の中でどんどん強くなっていきました。
アセンションが叫ばれていたのもこの頃で、2012年12月21日頃の冬至のあたりが、何万年に1回かの「地球の次元上昇」なるものが起きる・・・という風にまことしやかに一部の情報筋で叫ばれていて、何か時代が大きく変わっていくであろう期待と不安が人類の集合意識の中で拡大していくような時期だったようにも記憶しています。
まず私は、インターネットの可能性が、震災で被災して住む場所や仕事を強制的に変えないといけないような状況を回避できるかもしれない、と思っていました。
だから、ネット上でできるお仕事の候補をとにかく探すようになったのは【第3話】の最後のところでも触れましたよね。
ところが、です。
私が毎日インターネットで情報検索して新しい情報を得ていくことと反比例して、夫婦関係が徐々に悪化していくことになります。
具体的には、まさにこのアセンションの期日と言われていた2012年12月21日を過ぎてから、ご縁あって元夫の会社が冬休みに入った初日に、新築戸建のぴかぴかなおうちを購入して引っ越しをするのですが、新居引越し2日目にして、謎の言いがかりをつけられて家庭内別居に至るというドラマの脚本みたいな体験をしました^^;;;
この年の1月には、息子のユウヒくんが生まれたばかりでして、家を建てるまでは夫婦関係もそれほど悪いわけではなかったはずなのですが・・・急にここから何かが切り替わった感は否めませんでした。
余談ですが、この前後でプロフィールのところでも触れた2社目のネットワークビジネスの会社さんとの出会いがママ友のメアリちゃんを介してありまして、、、でも連鎖販売取引であることの説明を受けないままに(笑)新築戸建て用の浄水器を購入した時期でもあります。
話を戻しまして、、、家庭内別居になると、まだまだ小さかった子どもたちにだってそれが伝わるのは必至でしょう。
翌年2013年4月も絶好調家庭内別居キャンペーン中だったまま、娘のリリコちゃんは幼稚園に入園するのですが、一カ月も経たないうちに不登校(不登園)になり、そこからが大変でした(遠い目)
何がどう大変だったのか?というと、誤解のないように解説しておきますと、リリコちゃんの不登校そのものは私にしてみると全然負担ではありませんでした。
幼稚園や学校に行くことが、人生のすべてではない時代になったことは、なんとなくわかっていたからです。
むしろ、元夫が、
「今日は幼稚園に行ったのか?行けなかったのか?」
と質問ではなく詰問してくるようになり、幼稚園に行けなかったとわかると「ダメなやつだな」「怠け者」と捨て台詞を吐いて来るようになり、その言葉は無防備な娘を直撃していたので、私は娘の心を守るのに必死でした。
・・・というか、本来家族であれば、何か問題が起きた時に一緒に解決するものだろうと、当時の私は思い込んでいたのですが、元夫の認識は全くもってそうではなかったのです。
また、娘の不登校がひどくなると(一週間のうちで、例えば木曜日の午後だけ1時間幼稚園にやっと行ける、というくらいのリズム)、今度は元夫は生活費を出し渋るようになりました。
家のローンが大変だから、という言い分ではあったのですが、どうもそれだけではないようでした。
そもそも自分以外の誰かに、稼いで来たお給料を渡したくないという心情が見え隠れしていました。
(あれ、、、(元夫)ポポタンって、こちらの常識のつもりのことが全く通じない人だったのかなぁ?^^;;;)
と結婚の魔法でぼやけていた相手の本音も、徐々に見えてくるのですが、こちらは子ども2人がまだ小さくて身動きが全く取れない上に、上の娘は不登校状態で、、、普通に外に働きにいけなかったんです。
ついでに触れると、リリコちゃんのお産のあとに1度体調を大きく崩したこともあって、元からの体質も含めて、風邪等でふいに調子が悪くなるとそこからだいたい1カ月くらいは休養が必要になる感じでしたので(どんなに気をつけていても)、普通の仕事ができない理由は挙げればキリがないくらいでした^^;;;
人生のピンチとは、こういう状況のことを言うのでしょうか。。
いやはや、こういう時は相手を変えようとするエネルギーを出すことは、そもそも自分にとって無駄だなとなぜか瞬時に悟りまして、こういう状況だからこそ、自分で仕事をしっかりと組み立てていった方がいいと確信しました。
なぜなら、女性側に経済の自由があると、夫婦関係における問題はそもそもほとんどは解決するかもと思ったからなのです。
だって、、、
- 子どもの不登校→まずは引っ越し&転校も含めて、学校を変えるという選択肢もあり
- 夫が生活費を出し渋る→妻ががっつり稼げば全く問題ない
- 離婚したいが、子どもが小さいのですぐにはできない→妻側に収入があれば、瞬時に可能
と、こういう風に切り替えられますよね?
そのため、私は、WEB記事ライターの仕事はまだ継続しながらも、もっと収入が高くなって安定的に得れるもので、インターネット上で完結できるものを探して試行錯誤している段階でしたが、覚悟を決めて、
離婚しても母子3人で安心して生活できるネット完結型事業♪
というものを絶対に見つける!という強い想いで、日々ネット上での情報収集にあたることにしたのです。
まだ新品の畳のにおいが心地よい新築戸建に暮らせているのにも関わらず、私の心の内は、暴風が吹き荒れる嵐の中でやっとのことで灯台の微かな光を見つけて、難破しかけていた船を軌道修正できて心底ほっとした航海士のようなマインドでしたね。。。^^;;;
まさにこの頃に、浄水器を買って事実上アップラインとなっているメアリちゃんからは、浄水器以外の製品での定期便を組むことを何度もオススメされていて、徐々にネットワークビジネスのことも知り始めつつも、彼女の行動に疑問を持ちつつある時期でもありました。
まだまだ、ネット上で「これだ」と言えるネット完結型事業を探し出せていなかった2013年9月すぎには、同じくプロフィールの中盤のあたりでも触れました、3社目のネットワークビジネスの会社さんとの出会いは、またまたママ友のユジンちゃんとあすかちゃんによるハメアポで実現してしまうのでした(^▽^;)
私に声をかけてくれるママ友さんたちは、大きな新築戸建に住んでいる裕福な奥様をやっている(ように見えた)ぴぴこさんに、ネットワークのメンバーシップになってもらって、定期便を組んでもらいたかったんだと思います。
でも、予期せぬエッセンシャルオイルの香りは、本来は「推しはローズウッドです(≧◇≦)」という気持ちは当時も今も変わらないのですが、あの時は、
ハメアポ+印象悪すぎ=ただの刺激臭にしか感じられなかった
という方程式の解がオートマチックに求められてしまいまして、なかなかどうして、ネットワークビジネスあるあるってこうもエグイんだなという印象しか持てませんでした(≧◇≦)
それゆえ、まさかネット完結型事業でネットワークビジネスを取り扱うなんてと、火星と土星の軌道くらい違う次元の存在としか思っていなかったので、全く結びついていませんでした。
むしろ嫌悪感しかない状態でしたので、ネットワークビジネスのない世界に行こうと思っているくらいでしたよ^^;;;
だから、困っている方のためにも、そして自分(と子どもたち)のためにも、絶対にブログで稼ぐ手段を獲得するんだ!というそれはそれは強い覚悟を改めて決めることができたのです。
私に、いい意味で刺激をくれたMLM2社目のメアリちゃん、そしてMLM3社目のユジンちゃんとあすかちゃん、それにそもそも元夫のポポタンにも感謝しています♪
もし、ポポタンが世界一いい夫だったら、私はこんなエネルギーを出してプロのブロガーの世界に踏み込もうとは思わなかったですもの。
さあ、こんな風に結婚生活6年目にして、なんとなく勢いで新築戸建を建てちゃったぞ★のダンジョン(?)からは、ミドル級のライフイベントが発生し続けるのです。。。
いうなれば、離婚までの序章がスタートした、と言ったところでしょうか(遠い目)
実はこの頃にもう一つ、家族として決定打になる事件が起きました。
長くなるので、箇条書きでさくっと書き出しますと、
- 元夫ポポタンが、ある日突然高熱を出して、徐々に足も腫れて来て自力で歩けなくなる
- 家庭内別居状態だったが、一応妻として全力で看病
- 病院をハシゴして3軒目でようやく病名が判明
- 一連の3日間は、夫婦とも全く仕事ができなかった
という、箇条書きにまとめてもそこそこヘビーな出来事が起こりました。
こういう非常事態の状況に陥ると、出社する仕事や時間がかかる仕事が全くできなかったわけです。
この事実を重く受け止めた私は、インターネット上である程度自分がかかりっきりにならなくても、自動で営業できるものがあったらいいなと思うようになります。
この経験こそ、アフィリエイトだったりネットMLMに通じる考え方を得たきっかけだったのです。
まあ、こういう経験を元の家族でしていたからこその、私のネット業界で生きていくチャレンジ精神に気合いが入ったのですが、元夫のポポタンたちにはこの想いは全く通じることもなく、私は私でわかってもらおうともしなかったので、まるでスペースシャトルが液体燃料タンクを途中で切り離すが如く、どんどん家族としての距離が離れていく大きなターニングポイントになってしまいました。
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こんな悶々とした日々を過ごしている中で、私自身にもストレスが重なり2013年10月後半くらいからしばらくは、かなり体調を崩してしまいました。
実はこの年の3月に、千葉大学時代からの一番の親友だったユキノちゃん(本名です)が病気で急逝してしまい、悩みを話せる距離の近い友人がいなくなってしまったような感覚に陥ってしまっていたのです。
彼女が亡くなってからしばらくは、ふと気を抜いた瞬間に今まで一緒に過ごした思い出がたくさん頭の中で再生されてしまい、涙が止まらなくなるようなことも多かったものです。
なかなか受け入れることができなくて、折を見てはユキノちゃんのご両親にも手紙を送って、出会えたことへの感謝の気持ちを伝えることで、何か、どうにかしようと思うくらいでした。(うまく表現できません)
春は桜の花が満開の時期に、うちの最寄の駅までわざわざ遠くから遊びに来てくれたユキノちゃんを迎えに行ったり、夏になれば、埼玉県行田市にある古代蓮の花を見に一緒に出掛けたり、秋の夕暮れが関東平野の地平線に沈むのを国道をドライブしながら一緒に見たり、冬はJR大宮駅のエキナカで買って来てくれた温かいお惣菜を結婚直後に住んでいたアパートのこたつで温まりながら笑いながら食べたりと、、、まだまだここには書き切れないくらいに・・・20代・30代前半の中では本当に一番の親友だったのです。
でもユキノちゃんが一足先に宇宙に戻って行っただけなら、魂はちゃんと生きているということを斎藤一人さんのところで習っていたので、自分には彼女の状況はわからなくても、向こうは私のことをわかっていてくれていると学べたことは、本当に救いになりました。。
また、この気づきが、今一緒に仕事をしているうちの会社のびび太社長との出会いにも繋がっていくのは、ストーリーのもっと後半で触れたいと思います。
話を戻しまして、、、そんな風にあらゆる出来事が一気に起きてしまったこの年は、人生の一番底のようなところにいる感覚でしたが、それでも、東日本大震災を経験して感じた、
『人生一度切りだから、後悔のないように思いっきり自分らしく生きよう』
と誓ったあの時の気持ちと、
『インターネットでできること最大限で、自分は人助けができる人になるんだ』
という決断があったおかげで、孤独感の中でも前向きな気持ちだけは忘れないでいようという気持ちの強さを保てたようなものでした。
なので完全休養中のその間は、2011年4月頃から本格的に参加させていただいていた斎藤一人愛弟子一門会の方で教わった、一人さんオススメの韓流ドラマ『逆転の女王』(※)をツタヤのサービスを開始したばかりの宅配レンタルで、全部DVDを借りて視聴し続けていました。
※人の魂の1000年分の成長が描かれているから観た方がいいよ、という一人さんのオススメの理由だったのです
※超超超オススメなので絶対観てくださいね(≧◇≦)
多少調子が悪くても、全部家のポストまで配達してくれる宅配レンタルサービスだったので、とても助かりましたし、むしろ精神的にはとっても楽しい気持ちで過ごせたのが本当によかったです。
家にいてもすべて対応できるこの心地よさと言ったら、もう最強に最高でしたw
もちろん、娘も幼稚園を休ませて、息子はまだ小さかったので、親子3人で視聴する日々が本当にまるっと一カ月くらい続きました(≧◇≦)
やがて逆転の女王もそろそろ全31話を見終わるかな、、、という頃に、たまたまfacebookを閲覧していてある投稿を見つけました。
それは、11月11日がお誕生日だというある男性の方のお誕生日パーティの投稿内容でした。
まあそれが、派手で派手で派手で、どうしたの?というくらい豪華なわけですねw
でも投稿している文章はというと、チャラ男が書いているような内容ではなく、しっかりと芯があって強いメッセージなわけです。
今思えば、ネット上のブランディング写真+コピーライティング、という当時のインターネットビジネスの王道を進むマーケティング手法でしたが、当時の私はそんな裏の仕掛けがあることを知る由もありません。
ぴぴこさんは今でもインスタはちょっと不得意でして、どちらかというと文章で情報を拾いたいタイプなので、その男性の方の書く文章に、「なるほど~」「そうだよね~」と心の中でどんどん頷くポイントが積み重なっていきました。
欽ちゃんの仮装大賞の、あの得点版がテレレレレレレレレレッテ~~ずんちゃちゃずんちゃちゃずんちゃちゃちゃ・・・合格です、ハイおめでとうございます、慎吾ちゃん!みたいな(どんなだ)
これも今思えば、プロダクトローンチという手法にまんまと乗せられてしまったんだなとは思うのですが、あの時はそんな裏側の仕掛けの内情は全く知りませんでしたからね^^;;;
その男性とは、今はドバイに行ってしまいましたが、あの与沢翼さんのことです。
そして、facebookであの時ローンチをかけていたのは与沢塾第3期の入塾案内のことだったのです。
私はそれまで、ネットでできる何らかのお仕事で稼ぐことを強くイメージしていたのですが、インターネットビジネスとか「情報業界」という世界があるということは全く知りませんでした。
全く未知の世界ではありましたが、今までの常識の世界では解決策は見つからないと思っていたので、与沢さんのfacebookの投稿のどこかにあったメール配信お申込フォームみたいなものから、ステップメールで配信されるローンチ情報を読み進めていくと、真新しい世界に対しての私の印象は、警戒心よりも興味の方が強くなっていく過程をたどるのです。
つづく
追伸
親友だったユキノちゃんの急逝、初めて書きました(;´・ω・)
今までほとんど誰にも言って来なかったのですが、今回「ネットとネットワークビジネスと私」の連載ストーリーを書かせていただく中で、実は、一番キーマンになっているんじゃないかと徐々に自分で気づき始めて、、、ちょっと書いては消して、また書いては消してと、しばら~~~~~~くユキノちゃんのことを書くことにためらいがありすぎて、この【第4話】を更新するまでにかなり時間がかかってしまいました。
でも、こういうきっかけでもないと、なかなか人様に言う話でもないのかなと思っていたので、書けてよかったです*^^*
前進できそうです♪
読んでくださり、感謝してます♪